専業主婦の友人の話

私の友人は現在34才の専業主婦です。夫は40才。小学1年生の娘と、幼稚園年少の息子がいます。それだけ聞くと表向きはうまくいっている家族のようにも見えますが、家庭を維持するのは大変なことだとつくづく感じます。
まず子育ては大変です。体力的にも精神的にも大変です。幼児の子供を相手にしていますが、子供は簡単に言うことを聞きません。すぐに遊びたがるので、食事もお風呂もすんなりとはいきません。美味しくご飯を食べている時に、おしっこ行きたい!うんち行きたい!などと一緒にトイレに行かなければならない時は、せっかく食事中なのに…とがっくりします。下の子は4才ですが、未だに夜泣きがあり、夜中に相手をしなければいけない日もあります。家の中でもお出掛けの時も子供の機嫌がいい時はとても楽しく過ごせますが、ちょっとしたことで機嫌を損ねると、なだめるのに苦労します。予定が遂行できなくなってしまったりすることもあります。
他にも、子供の交友関係にも心配事があります。上の子は小学生で、お友達に強く言われて学校から泣いて帰ってきたりすることもあり、心配が尽きません。また、子供の交友関係にヒビが入らないよう、ママ友との付き合いにも気を使います。悪く思われないよう、良い顔をするのでやや疲れます。本当に気の合うママ友もいますが、それでもやはり良い顔をしてしまうので、学生時代の友達とは違った付き合いになります。
子供がいる生活は楽しくもあり賑やかでもあり、幸せですが、大変なことも多いです。

次に夫との関係です。こちらの方を維持する方が大変です。子供は自分のお腹を痛めて産んだ子なので、多少の苦労は覚悟の上です。子供のいる生活は大変ですが、子供の成長が愛おしいですし、なにより怒っていても泣いていても可愛い存在です。しかし夫はどうでしょう…。血も繋がらない赤の他人との生活は我慢の連続です。
それでも恋愛期間は大好きな相手でした。夫とは社内恋愛でした。恋愛期間はとても楽しい時間でした。相手が大好きで、その人と付き合えて、デートで色々な所に行き、まだお互いに猫をかぶっているような状態で、綺麗な付き合いです。段々お互いに化けの皮をはがしていって、嫌なところが見えてきて、それからの関係を維持するのが大変です…。今はモラハラという言葉が世間に浸透してきていますが、交際当時、もし私がその言葉を知っていたら、今の夫との交際を考え直していたかもしれません。彼は交際当時、私が友達と飲みに行って帰りが遅くなると、あまりいい顔をしませんでした。そして、私には当時男友達がたくさんいたのですが、男友達がいる人とは付き合えないと言い放ちました。多くは語りませんでしたが、どうやら昔付き合った女性に浮気をされたことがあるらしく、とても疑り深い性格でした。しかし私は彼のことがとても好きで、モラハラという言葉も知らなかったため、相手に交友関係を制限されることは健全な付き合いでないということに気付けませんでした。なので男友達との連絡は断ち、女友達との関係も変わりました。友達がかなり減りました。しかし、盲目的に彼のことを好きになってしまっていたため、自分が苦しくなってくるのに彼との関係を優先してしまいました。
結婚すると、彼はしまいには私が仕事をしているのが好きじゃないとまで言い、仕事の電話がかかってくるとあからさまに機嫌が悪くなったりと、仕事を辞めざるを得ないような状況に陥り、結局仕事は辞めることになってしまいました。はたからみるとなんで言うことを聞いちゃうの?と思われるかもしれませんが、彼は怒ると私を無視するのでそれに耐えきれなくなってしまい言うことを聞いてしまいます。普段は楽しく過ごせるので、それがなくなるのが辛いと感じてしまうのです。彼の機嫌がいい時は私も好きなように振る舞えるのですが、彼が怒ると私は何も言えなくなってしまいます。
そんな夫ですが、仕事は頑張ってくれています。子供も可愛がっており、子供はパパが大好きです。私の子供は感受性が強いタイプなので、もし離婚して家族が離れ離れになったら…と考えると、子供の精神面がとても心配なので、なるべく離婚はせずに家庭を維持していきたいと思っています。たまに家の中が不穏な空気になると、子供も勘付いて不安にさせてしまってるな、と思う時もあります。夫には、子供の前で態度を変えないでほしいことを何度か伝えてきて、夫も我慢しておさえてくれることが多くなりました。しかし、本当なら、モラハラの心配のない生活を送りたいと思う自分もいます。かつて一緒に過ごしてきた私の家族や、私の友達、過去に交際してきた男性たちには、今の夫のように機嫌で無視してきたりするような人はいなかったので、平穏な暮らしてきました。なので夫との暮らしは楽しいことももちろんありますが辛いと思う時の方がもしかしたら多いかもしれません。でも、家庭を維持していくために私も頑張らなくてはいけないと思っています。最終的には夫に立ち向かえるよう少しずつでも強くなりたいです。

2020年1月3日の話

2020年1月3日、今年で3年連続となる三が日での休日出勤を終え、今年も年始から稼げて良かったという充実感を抱えて夕方自宅に帰りました。
その日の夜は焼肉でさらにテンションが上がり、幸先良い1年だなと思って就寝しました。
ところが翌日の1月4日早朝、歯の痛みで目覚め、その後も二度寝できないレベルで左上の歯がかなり痛み、かなり焦りました。
そういえば去年の前半は冷たい飲み物が染みていたことを思い出し、食事以外では影響が無く、仕事も忙しいから…などと言い訳をして歯医者に行かなかったことを回想しつつ、そういえばいつからか痛みも消えてラッキーくらいに考えてたっけ、などとさらに回想を進めて、結果当日の急な激しい痛みに帰結していることを認識し、ひたすら焦りました。
特に何で焦ったかというと、タイミングが悪いことに1月4日は正月真っただ中の土曜日、歯医者なんてほとんど休みだろうと思っていたからです。
幸い自宅は都会で、周辺に歯医者は豊富にあったので、ネットで調べて片っ端から当日営業している歯医者を調べたところ、これも偶然に自宅から徒歩1分という最寄りの歯医者が午前9時30分から開いていることが分かりました。
とはいえ、休み明けということもあり予約が詰まっていることは確実だろうなと予想し、それまで痛みに耐えるのか…と、暗澹とした気持ちになりました。
ちなみに早朝過ぎて当然受付の方もおらず、予約状況が分からなかったので、営業開始までの1時間くらいは気晴らしにゲーセンに行こうと外出しました。
朝8時30分、なんせ徒歩1分なので、とりあえずゲーセンに行く前にちらっと歯医者を見ていくかと思い、入り口付近をウロチョロしていたところ、ちょうど歯医者の従業員らしき女性が出社してきて、「患者さんですか?予約されてますか?」等と聞いてくれたので、「今朝から急に激しく痛み出した」「実は半年前くらいまで飲み物が染みていたが放置していた」と、外で問診みたいなことをしてもらい、営業1時間前にもかかわらず中に入れてもらいました。
これだけでも割と幸運だったのですが、その日はもともと朝一で予約が入っていたのに急にキャンセルが発生したらしく、朝いちばんから自分の治療をしてもらえうことになりました。これは本当に超ラッキーでした。
早速レントゲンを撮ってもらい、詳しく診てもらったところ、やはり虫歯ができており、神経まで達しているどころか神経が全て浸食され腐っており、神経のさらに奥の歯茎の部分に菌が繁殖しかかっている、とのことでした。
神経が死んでしまった時期から、冷たいものがしみなくなり、歯茎の部分に菌が繁殖し始めたことで突然激しい痛みが発生したのだろう、と解釈しました。
とにかくまずは痛みから解放されたいということで、さっそく麻酔を打ってもらい、当日は該当の歯を全て削ってもらいました。
先生から「ガスがたまって不潔になるので今日はあえて被せものをしないでおくから、次は極力早く来てほしい」と言われ、2日後=正式な仕事始めである1月6日の月曜日の夜に予約をとりました。
本当は仕事始めなんて残業必至の超多忙な日なのですが、さすがに歯の痛みにビビってしまいました。
虫歯で手術したり最悪死んだりという話も聞いていたので、一体どうなることやらと心配していましたが、結果的にはごく普通の歯医者での治療を続けることで治るようで、ひとまず安心しました。
その後、毎週最低1回は歯医者に通い、神経を少しづつ削り取ってもらい、それが終わったら最奥から詰め物をしてもらい、歯型をとって銀歯を埋め、ようやく先週の土曜日=2月8日に治療が完了しました。
1月4日時点では「7~8回くらい通ってもらうと思う」と先生に言われていたので、2か月は通院を覚悟していましたが、結果的に1か月で完了して助かりました。
神経を抜く治療は人生で初めてであり、麻酔で痛みを感じないとはいえ、歯のかなり奥の方まで細長い管を通されて、ゴリゴリと削られているときのあの何とも言えない不気味な感触は、正直しんどかったですし、何度も経験したくは無いと感じました。
また、治療が完了した今も、治療した歯を舌で触ってみると他の歯とは明らかに感触が異なっており、この違和感が一生続くと思うと結構ウンザリさせられます。
自業自得なので仕方ないですが、幸いまだこの歯以外は神経も残っており健康な歯なので、これ以上の犠牲を払わないように、今まで以上に歯磨きをきちんと行い、歯医者での定期的な検診も必ず受診するようにしよう、固く決心しました。
思えば小学生のころは毎年の歯科検診で虫歯がいくつも見つかり、歯医者通いは常日頃でした。
その頃の記憶を辿ると、ペンチでゴリっと抜歯されるようなかなり原始的な方法で乳歯を抜かれたり、治療中のうがいでは血を吐くこともしょっちゅうだったように思いますが、大人になって久しぶりに治療をうけてみると、出血は全く無く、痛みもほぼ感じず、仕事で疲れている時などは治療中に眠気すら感じるレベルで快適でした。
歯の治療の世界もすごく進歩してるんだなぁと実感しましたが、それでもお金と時間はもったいないし、そして何よりこの不気味な感触の歯を舌で舐める度に、人間の歯は生まれたままが一番だと本当に思います。

愛猫家の一日

愛猫家の一日は常に猫様中心、一挙手一投足のかわいさに日々にっこりなのです。まず起床すると、我が家の猫様はリビングで飼い主が起きてくるのをまっています。じっとこちらをみてからにゃーとかわいらしく長鳴きをし、飼い主になにかしら要求するのです。たいていは「あそんで」や「カリカリをください」ですが、時間帯によっては「このドアをあけて」だったりします。挨拶がてら鳴いた後は、目の前にすわった飼い主の周りをぐるぐるしながら頭をあちこちにこすりつけマーキングタイムです。もふもふであったかいかわいさの塊ともいえる猫様のすりすりはまさに至福の時間。猫様は満足するまで存分にすりすりしたのち、カーペットの上にちょこんと座り、今度はなでろとばかりにこちらに背を向けてきます。耳の後ろや額をなでれば気持ちよさそうに目を細めで頭を手にこすりつけてきます。猫様的には背中は割とどうでもよいのか、特段反応はありません。しかし少し指をたてつつ背中をなでるのは人の髪をすいているようで楽しく、猫様のぬくもりも感じられてなんとも良いものです。もしも猫様の機嫌が良ければ、そのままごろんとお腹をみせてきて触るのを許してくれる時もあります。背中とは異なり猫様のお腹の毛並みはとっても柔らかく、ふわふわとした感触です。前脚の付け根あたりをくすぐるようになでてあげれば喉をみせるように頭を動かして気持ちよさそうにしてくれることが多いです。そうしてくれた時の、猫様のマズルはあまりに愛らしく、猫様はどこをとってもかわいいのだなぁと思ってしまいます。我が家の猫様は黒猫ですので、人間でいうところの唇にあたる部分が白く縁どられているように見え、白い口紅をひいているようにもみられて、「お洒落さんだねぇ」と家族で笑いあったりもします。そんな白い口紅のお口も、おなかをみせてごろんと寝転がってくれるととてもよく見えて飼い主冥利に尽きるといった心持です。起きてきたばかりのときには、このように飼い主に「かまって攻撃」を仕掛けてくる猫様ですが、そこはやはり猫様というべきか、いつまでもなでられていてはくれません。猫様が満足してしまうと彼女はすっと立ち上がり、お気に入りの場所へいってしまいます。ですが、猫様自身も全く飼い主に興味がなくなるわけではなく、窓のしたのヒーターや窓際スペースに乗ってくつろぎつつも、こっそり飼い主の様子をうかがっているようです。我が家の猫様は空気が読めるタイプの子で、飼い主や家族がご飯を食べているときには「かまって攻撃」はしないことが多いのですが、あくまで構ってほしい気持ちはあるようで、ダイニングの椅子に座り、スマートフォンをいじりながら食事をしていると「スマートフォンをいじる=こいつは暇である」と認識されてしまうのか、わざわざこちらまで歩いてきて「にゃぁぁぁぁぁうぅ」とこちらの庇護欲を掻き立てるような鳴き方で飼い主を呼びに来るのです。飼い主としては、猫様が呼びに来たのならばスマートフォンを置き、食事も中断して猫様についていくのです、当然。猫様は飼い主がついてくるのを確認すると、なでろと言わんばかりにカーペットの上に寝転んでみたり、あそべといわんばかりにケージ内の爪とぎ器の上で待機してみたりします。ちなみに、この爪とぎ器の上というのは、彼女が遊ぶ時の所定の待機位置ともいえる場所です。たとえ食事の最中だったとしても、猫様が満足するまで何度か付き合うと、猫様はお気に入りの場所でお昼寝をします。天気が良ければ窓際に、そうでなければ暖房の出てくる場所などです。猫様の構ってモードが終わったところで、飼い主はたいてい部屋に引っ込むのですが、天気の悪い日には飼い主の部屋が一番温かいのかへやにもどる飼い主の後ろについてくることがよくあります。猫様とは気まぐれで自由な生き物の代名詞であり、こちらのことなぞわれ関せずといった態度をとるもの、というのが一般的なイメージです。でもそんな猫様だからこそ後ろをちょこちょことついてまわるのはかわいいし、とてもうれしいものです。日中の猫様はほぼ溶けています。まさに溶けているとしか形容できないような寝転がり方をします。我が家の猫様は黒猫なので、日光浴は日の光で効率的に温まれるのか、窓際の狭いスペースから半ばからだがずり落ちる位には溶けています。「猫は液体」とはまったくよく言ったものです。どこかの時間でたくさんスキンシップを取っていると、だいたいは夕方まで猫様はずっと寝ています。時折いくつかあるお気に入りの場所を移動しているようですが、そこまで飼い主にちょっかいをかけては来ません。彼女が再び動き始めるのは晩御飯で家族が集まってくるころです。家族のだれかの食事が終わるのをテーブルのそばでそわそわしています。特に父になでられるのが好きなようで、しっぽの付け根をとんとんされるのが大好きなようで、要求するように家族をカーペットまで誘導することもあります。この時間帯はまた構ってほしいのか、スマートフォンをいじっていなくとも長鳴きをしてこちらの気を引こうとします。食事が終わり、家族から構ってもらった後は、今度は家族の方が寝てしまいます。飼い主が再び部屋に戻ろうとすれば、猫様はついていき、部屋の猫様の為のスペースからこちらの様子を観察したり、うたたねしたりしています。明かりを消して飼い主が寝ようとしている時に、首輪の鈴を鳴らしつつ部屋からそっと出ていくことがよくあるので、もしかしたら彼女は飼い主が寝るまでは見届ける義務があるとでも思っているのかもしれませんね。

苦手なママ

私にはとても苦手なママ友がいます。その人と出会ったのが子供が産まれて丁度1年が過ぎた頃でした。そろそろ子供が違う子供の存在に気づいて興味を持ち始める頃でした。私もせっせと児童館や保育園の園庭解放等に繰り出していました。その場で会ったママさんとつかず離れず適度な距離を保って自分の子供と遊ばせていました。するとある時とても距離感の近いママに出会いました。その人は人見知りの私でもとても話がしやすいと思える気さくな人でした。初対面なのに沢山話が出来た私は嬉しくて今度もまた会ったらお話がしたいとまで思う様になりました。連絡先の交換はさすがにしませんでしたが、次の園庭解放でまた会う事が出来たのでそれから仲良くお話をするようになりました。すると家が近所だと分かり、近くの公園で遊んでいるという事も分かりました。私は珍しく自分からその人が遊んでいると言う公園に行くようになりました。すると同じ月齢の子供を持ったママさんが沢山集まっていて色々な情報を貰えるようになり良いママさんに出会ったとさえ思いました。けれどその頃からとても面倒に思う事も増えてきました。連絡先を交換した私はそのママさんと支援センターで開催されるイベントに一緒に行くようになりました。というか私は公園でばったり会って話す相手がいたらいいなと軽い感じでママ友の事をとらえていたのですが、そのママ友は一緒にどこかへ出かけるママ友を探している様でした。私はその人に沢山誘われる様になりました。一人で行きたいイベントがあり一人で参加した事を言うとなぜ誘ってくれないのか。今度からは絶対誘ってね。と言われる様になりました。私は元々現地集合、現地解散が好きなタイプです。しかも人見知りでよっぽど仲良くないと一緒に出掛けるのが苦痛に感じます。そんな私にとって断る理由を探すのも面倒だし、子育てで大変なのにママ友になんて構ってられないとまで思う様になりました。毎回色々な理由をつけて断っていたのですが、何度も断るのは気が引けるので数回に1回は誘いにのる日々でした。だんだんそれすら面倒な感じで次回も断ったりするのですが、空気が読めないママ友は毎週同じ曜日に遊ぶ人の様に私をローテーションで誘います。子供が習い事を丁度始めた事もあり習い事が理由で誘いを断りだすと違う曜日に設定してまた誘ってくるようになりました。私は旦那にママさんは自分が暇だから私を利用していると愚痴る様になりました。それでも仕方なく遊びに出かけると出かける先々でそのママには知り合いがいて挨拶し合っているのに気が付きました。あの人もこの間知り合ったママで、こっちの人も仲良くなったママだよと言われるのですが、その度にそっちの人を誘えばいいのに何で私ばっかり誘うのだろうと疑問に思う様になりました。そのママは本当に顔が広くみんなと連絡先を交換しているように感じました。そしてある時私と約束して遊んでいる所で知り合いのママに会ったようで私を置き去りにして長い時間いなくなってそっちと話をしている事がありました。私はそのママさんを話さなくて済むので気楽だと思って自分の子供と遊んでいたのですが、ふとなんで無理やり一緒にお出かけして一人置いてけぼりにされなくてはならないのか不満を持ちました。私は来たくて来ているのではないし、いなくなる位なら一人で来てそこにいた知り合いと話をしたらいいんではないかと思いました。それでも毎週私は誘われるんです。そして毎週の誘いの中で知り合いも一緒に遊んでいいかと言われた時に私をのけてそっちと遊んでくれと思いました。だってその人の事私は知らないし、向こうも私の事を知らない。しかも私は人見知りです。本当に嫌だったけど何度も断れない私は仕方なく会いました。相手はとても良い人で子供同士を遊ばせていましたが、私を誘ったママ友はまた知り合いに会って私達二人をほったらかしにして違うママの所で話をしていました。私はあなたを介して会っているのだからあなたがいないとだめでしょう。とイライラしましたが、相手にも悪いので最後まで二人で話をして別れました。もうそんな日々が嫌で二人目を妊娠したのを機に連絡を絶つことにしました。それからはとても快適で気楽に一人でお出かけも出来るようになりました。けれどそんな日々も長くは続きませんでした。私が二人目を出産すると上の子の幼稚園が始まりました。そして幼稚園がママ友と同じだという事がわかりました。私は絶対同じクラスは嫌だと思っていたのですが、人数が少ない幼稚園だったので同じクラスになってしまいました。初めは話をするのも避けて近寄ってこないでという空気を出していたのですが、なんせ空気が読めない相手には全く通じません。隙を見せると子供を遊ばせようと私を誘ってきます。一度他の人も交えて遊ばせようかと提案したのですが、本当か嘘なのかみんな子供が帰って昼寝するとか色々な理由で無理だから二人でいいよと言われました。そして今も何度も誘ってきますが、同じクラスなので断れず卒業する日を待ちわびています。

ファミマで自分へのご褒美

今日もいつものように自分にお疲れ様という事で、ファミマで自分のご褒美を買って帰ってきました。
節約しないといけないなと思いながらも、ついつい帰り際にファミマに寄ってしまうのもなんとかしないと、まだまだですが健康診断で何かひかかってしまわないか少し不安になります。
友達とのグループラインでその話を出すと共感してくれる場合と自業自得といわれるか、聞いてもいないのに色々ダイエット方法を教えてくれます。
嬉しい反面、自分のお金で買っているのだからそっとしておいてほしいなと返事を返しそうになりました。
余計なお節介と言ってもいいかなと思いつつ、あまりグループラインで争いごとを起こしたくて、言い返しできないのが少しもやもやします。

こういう話をしていると、ふと、仕事終わりのご褒美に同じようにコンビニで自分の好きなもの買っている人ってどれだけいるのかなと考えたりします。

よく同じ時間に晩御飯というよりおやつのような物を買っている人を見かけると同じ理由かな?仲間かなと勝手に仲間意識を抱いてたりしています。

流石に声をかける勇気はないので、声をかけた事はないですが、知り合える機会とかタイミングがあったら少し話してみたいなとか思ってます。

いつもと同じような生活の繰り返しなので、本当はそういうタイミングとかあれば何か変化が起きて楽しいのかもしれないなと思うけれど行動には起こせないので、フットワークが軽い人やどんな人にも怖気づかず話かけにいける人が羨ましいなと時々思います。

実は一時期、フットワークが軽い人間になる為に、ビジネス本や自己啓発本なども読んでましたが、行動に移すとなると何をしたらよいのか分からなくなって諦めてしまいました。

変わりたいのに変われないのか、変わりたいけど、現状を変えるのか怖いのかどうなのかがよく分からないです。2年くらいは同じような事を悩んでますが良い結果になった実感は一度もないので、そもそも素質の問題なのではないかと思います。それか才能かもしれないです。

勇気を出せる才能、フットワークが軽い才能、そして人生を変えようとする行動力も才能のひとつなんだろうなと思います。

自己啓発本や引き寄せの本、そして最近Twitterで宣伝している情報商材にも行動すれば変われるとか書いてますが、変わった試しがないです。

まあ、今でも自分は変われるかもしれないと思って情報商材を買ってしまう事もあるので、いい加減反省するか、自分の実力を考えて行動しないとなと考えてます。

考えているだけなんですけどね。行動に移したいとは思いますが、読んだものの、内容が理解できても納得というのかわかりませんが、なるほどねという感じでしか理解出来てないので、過去、現在含めて、若干の後悔はしてます。

世の中には私以上に、色んな事に挑戦してもしかしたら大きな借金さえ抱えてしまっている人もいるのかもしれないと思うので、出来れば誰でも楽に不労所得が得られる方法を誰か編み出してくれないかなと思ってます。

多分、私以外にも大体の大人全員、むしろ最近の中学生でも同じような事考えてるのではないかと思います。

小学生は分かりませんが、中学生くらいになってきたらインターネットを使って大体の事は調べられるから、夢を抱いていても、叶えられないし、むしろ不老所得の方が、好きな事しながらお金もらえるから良いのではなんて考えていそうです。

そこまで考えてないのではとかツッコミ入れられそうですが、むしろ最近は若い子の方が色々達観している様な気がします。(SNSをみていると)

子供と知り合う機会もないので、自分の妄想でしかないので、想像の域はでませんが、子供と話す機会とかそんなイベントでもあれば聞いてみたいです。

地元のお祭りとかで子供は集まってきたりしますが、知り合いでもない赤の他人の大人に話しかけられたらおそらく、逃げられるか、親に通報されそうなので聞いてみたいけど、聞けることはないだろうなと思います。

SNSを使えば、もしかしたら調べられそうですが、子供に紛れ込んでくる大人もいそうなので参考にはならないだろう可能性高そうです。

実はヤフー知恵袋とかも時々、中学生とかが書き込みをしているのを見かけたりしますが、そもそもヤフー知恵袋って子供が使えるのかなと疑問に思ってます。

ヤフー知恵袋とかで聞いてみたいような、むしろ大人から説教受けそうです。大人が何を聞いてるんだ、とかもう少し自分で考えろとか言われそうです。

色々と考えてたり、悩んでたりしますが行動にはなってないので、おそらく今後も

いつものような日常から離れたいなあと思いながらも今日も明日も、相変わらず仕事帰りにファミマに寄って自分のご褒美を買って、これでいいのかなとかグルグルと考えてしまうのだろうと思います。

旅行にでもいくお金も貯まれば日常から離れられそうですが、現状、今の生活を変える方法が思いつかない&したいけどやり方が分からないので変わらないですね。

いつか人生逆転できますように・・・・!(出来たら無理がない程度の努力でお願いしたい所です)

人はなぜ働くのか

人はなぜ働くのでしょうか。
社会人2年目の私は毎日のようにこのことを考えています。
好きでもない仕事をして、決まった給料を決まった日付に受け取ります。
それが無ければ生活はできないけれど、生きていく手段なんて腐るほどあると心の中では思っています。
分かってはいるけれど、この生活を人はなぜ辞めないのかと今まさに自分に言い聞かせながら就業時間にこの日記を書いている私は給料泥棒でしょうか。
ではまず”なぜこの生活をやめないか”についてですが、私が思うに人は変化を嫌います。
私の場合も大半の理由はこれにあたると思います。
今の何となく生きているこの生活に慣れてしまってて、いわゆるぬるま湯に浸かっている状態になります。
このぬるま湯から抜け出せる人間はいわゆる富裕層という人種たちなのかな、なんて思ったりもします。
ここでいう富裕層とは心が豊かな人たちのことかな。
皮肉なことに現代ではテクノロジーやAIといったものが発達しすぎて心が豊かな人間が少なくなっておるような気がしないでもないです。
どうでもいいんですけどね。
決断をするということは、人が生きていくにあたって一番ストレスのかかる行為であると私はしばしば感じています。
決断力のある人間が今の日本や世界をきっと作ってきたのだなとも思うけれど結局どうでもいいなって思ってしまう自分がいます。
とにかく私は熱中できる仕事がしたいと日々考えています。
だけれど、熱中できるのもを見つける事が一番難しいことで、見つかってからは案外簡単なことだと思うんです。
私の姉は小学生の時に自分のなりたい将来は小学校教諭だと周囲に言い切りました。
現在姉は小学校の教諭になり、7年が経過すします。
もし宝くじが当たったら、仕事をやめる?それとも続ける?と聞くと、「続けるかな。」と言っていました。
姉は瞬時に答えを決断したのです。私ならば瞬時に「やめるに決まってる。」と答えましたね。
宝くじはまず、買わないと当たらないけど・・・。
あと何文字くらいか~と考えながら隣のデスクに座るアシスタント女性の顔色を横目で確認しながらタイピングをしています。
この隣のアシスタント女性、34歳独身、見た目はすごく美人なのになぜ独身なのだろう。
私の見解は2つです。
1つ目は男を数人誑かして金儲けをしている、もう1つは女が好きなのか?なんて考えてる。
こんなことを想像しながら日々お仕事に励んでおります。
やっぱり給料泥棒ですね。
部長はマスクごしでも匂うほどの口臭の持ち主です。
くさ過ぎて正直指示が頭に入りません。誰か注意して欲しいです。
その部長の口癖は「根底を分かっていないでしょ。」
根底なんてくそくらえと思いながら日々を過ごしております。
ただの悪口日記になってきました。
課長は会社の経費でご飯をめちゃくちゃ食べます。
いわゆるケチまたは貧乏性ってやつですかね。
こいつはもう男として情けなくて見ていられません。
課長が仕事をする理由は会社のお金で美味しいご飯を食べることができるからだろうと個人的に思っています。
人にはそれぞれ仕事をする理由があるのだなと思いながら、今日は金曜日なのに接待がぶちこまれました。
宝くじ買います。
さて、私が最近始めたことの中にTOEICの勉強があります。
通勤時間が30分程度なので、地下鉄は電波も悪いし、勉強する時間にしよう、と思い始めました。
が、しかし継続するということは世界で一番難しいことですね。
なかなか続かない。
やっぱり目標を設定して何事も始めないとどうも続きません。
なんでもそうだけれど、始めるという決断ばかりを急いで、肝心な続けるルールを決めていないと思うます。
私はサッカーを10年以上学生時代から続けてきましたが、それは自分で決断するというよりは他者に決められたルールに従って継続していただけなのだなと今になって感じます。
子供の場合は両親や大人が決めてくれたルールに従い生きていました。
楽だったなと正直思います。
決断する回数も少なければ、決められたルールを守れば褒められたし、楽しかったです。
大人になってしまった今は誰もルールを決めてはくれません。
全てが自分次第という言葉がありますが、大人になるというのはそういうことなんだなと思います。
もし子供ができたら、私はルールを決める立場になるのだと思うと、到底まだ子供は育てられないなとつくづく思います。
私たちは何のために生きて働いて子孫を残してを繰り返すのでしょうか。
生きているとうことは必ず死んでしますし、そう思うとあの時こうしていたら良かったなんて絶対に思いたくないです。
だけれど、そのやっておけば良かったを今この瞬間に見つけるのは簡単なことじゃないと思います。
私のような大人って意外と多い気がしませんか?
こういう悩める大人子供みたいな人たち向けの新しいサービスを展開したら成功するかもしれませんね。
今のこの平凡な状況から抜け出すには自分次第ということですか。
皮肉なものですね人生。
私の目標はとりあえず家族を沖縄旅行に連れていくことです。