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愛猫家の一日

愛猫家の一日は常に猫様中心、一挙手一投足のかわいさに日々にっこりなのです。まず起床すると、我が家の猫様はリビングで飼い主が起きてくるのをまっています。じっとこちらをみてからにゃーとかわいらしく長鳴きをし、飼い主になにかしら要求するのです。たいていは「あそんで」や「カリカリをください」ですが、時間帯によっては「このドアをあけて」だったりします。挨拶がてら鳴いた後は、目の前にすわった飼い主の周りをぐるぐるしながら頭をあちこちにこすりつけマーキングタイムです。もふもふであったかいかわいさの塊ともいえる猫様のすりすりはまさに至福の時間。猫様は満足するまで存分にすりすりしたのち、カーペットの上にちょこんと座り、今度はなでろとばかりにこちらに背を向けてきます。耳の後ろや額をなでれば気持ちよさそうに目を細めで頭を手にこすりつけてきます。猫様的には背中は割とどうでもよいのか、特段反応はありません。しかし少し指をたてつつ背中をなでるのは人の髪をすいているようで楽しく、猫様のぬくもりも感じられてなんとも良いものです。もしも猫様の機嫌が良ければ、そのままごろんとお腹をみせてきて触るのを許してくれる時もあります。背中とは異なり猫様のお腹の毛並みはとっても柔らかく、ふわふわとした感触です。前脚の付け根あたりをくすぐるようになでてあげれば喉をみせるように頭を動かして気持ちよさそうにしてくれることが多いです。そうしてくれた時の、猫様のマズルはあまりに愛らしく、猫様はどこをとってもかわいいのだなぁと思ってしまいます。我が家の猫様は黒猫ですので、人間でいうところの唇にあたる部分が白く縁どられているように見え、白い口紅をひいているようにもみられて、「お洒落さんだねぇ」と家族で笑いあったりもします。そんな白い口紅のお口も、おなかをみせてごろんと寝転がってくれるととてもよく見えて飼い主冥利に尽きるといった心持です。起きてきたばかりのときには、このように飼い主に「かまって攻撃」を仕掛けてくる猫様ですが、そこはやはり猫様というべきか、いつまでもなでられていてはくれません。猫様が満足してしまうと彼女はすっと立ち上がり、お気に入りの場所へいってしまいます。ですが、猫様自身も全く飼い主に興味がなくなるわけではなく、窓のしたのヒーターや窓際スペースに乗ってくつろぎつつも、こっそり飼い主の様子をうかがっているようです。我が家の猫様は空気が読めるタイプの子で、飼い主や家族がご飯を食べているときには「かまって攻撃」はしないことが多いのですが、あくまで構ってほしい気持ちはあるようで、ダイニングの椅子に座り、スマートフォンをいじりながら食事をしていると「スマートフォンをいじる=こいつは暇である」と認識されてしまうのか、わざわざこちらまで歩いてきて「にゃぁぁぁぁぁうぅ」とこちらの庇護欲を掻き立てるような鳴き方で飼い主を呼びに来るのです。飼い主としては、猫様が呼びに来たのならばスマートフォンを置き、食事も中断して猫様についていくのです、当然。猫様は飼い主がついてくるのを確認すると、なでろと言わんばかりにカーペットの上に寝転んでみたり、あそべといわんばかりにケージ内の爪とぎ器の上で待機してみたりします。ちなみに、この爪とぎ器の上というのは、彼女が遊ぶ時の所定の待機位置ともいえる場所です。たとえ食事の最中だったとしても、猫様が満足するまで何度か付き合うと、猫様はお気に入りの場所でお昼寝をします。天気が良ければ窓際に、そうでなければ暖房の出てくる場所などです。猫様の構ってモードが終わったところで、飼い主はたいてい部屋に引っ込むのですが、天気の悪い日には飼い主の部屋が一番温かいのかへやにもどる飼い主の後ろについてくることがよくあります。猫様とは気まぐれで自由な生き物の代名詞であり、こちらのことなぞわれ関せずといった態度をとるもの、というのが一般的なイメージです。でもそんな猫様だからこそ後ろをちょこちょことついてまわるのはかわいいし、とてもうれしいものです。日中の猫様はほぼ溶けています。まさに溶けているとしか形容できないような寝転がり方をします。我が家の猫様は黒猫なので、日光浴は日の光で効率的に温まれるのか、窓際の狭いスペースから半ばからだがずり落ちる位には溶けています。「猫は液体」とはまったくよく言ったものです。どこかの時間でたくさんスキンシップを取っていると、だいたいは夕方まで猫様はずっと寝ています。時折いくつかあるお気に入りの場所を移動しているようですが、そこまで飼い主にちょっかいをかけては来ません。彼女が再び動き始めるのは晩御飯で家族が集まってくるころです。家族のだれかの食事が終わるのをテーブルのそばでそわそわしています。特に父になでられるのが好きなようで、しっぽの付け根をとんとんされるのが大好きなようで、要求するように家族をカーペットまで誘導することもあります。この時間帯はまた構ってほしいのか、スマートフォンをいじっていなくとも長鳴きをしてこちらの気を引こうとします。食事が終わり、家族から構ってもらった後は、今度は家族の方が寝てしまいます。飼い主が再び部屋に戻ろうとすれば、猫様はついていき、部屋の猫様の為のスペースからこちらの様子を観察したり、うたたねしたりしています。明かりを消して飼い主が寝ようとしている時に、首輪の鈴を鳴らしつつ部屋からそっと出ていくことがよくあるので、もしかしたら彼女は飼い主が寝るまでは見届ける義務があるとでも思っているのかもしれませんね。

苦手なママ

私にはとても苦手なママ友がいます。その人と出会ったのが子供が産まれて丁度1年が過ぎた頃でした。そろそろ子供が違う子供の存在に気づいて興味を持ち始める頃でした。私もせっせと児童館や保育園の園庭解放等に繰り出していました。その場で会ったママさんとつかず離れず適度な距離を保って自分の子供と遊ばせていました。するとある時とても距離感の近いママに出会いました。その人は人見知りの私でもとても話がしやすいと思える気さくな人でした。初対面なのに沢山話が出来た私は嬉しくて今度もまた会ったらお話がしたいとまで思う様になりました。連絡先の交換はさすがにしませんでしたが、次の園庭解放でまた会う事が出来たのでそれから仲良くお話をするようになりました。すると家が近所だと分かり、近くの公園で遊んでいるという事も分かりました。私は珍しく自分からその人が遊んでいると言う公園に行くようになりました。すると同じ月齢の子供を持ったママさんが沢山集まっていて色々な情報を貰えるようになり良いママさんに出会ったとさえ思いました。けれどその頃からとても面倒に思う事も増えてきました。連絡先を交換した私はそのママさんと支援センターで開催されるイベントに一緒に行くようになりました。というか私は公園でばったり会って話す相手がいたらいいなと軽い感じでママ友の事をとらえていたのですが、そのママ友は一緒にどこかへ出かけるママ友を探している様でした。私はその人に沢山誘われる様になりました。一人で行きたいイベントがあり一人で参加した事を言うとなぜ誘ってくれないのか。今度からは絶対誘ってね。と言われる様になりました。私は元々現地集合、現地解散が好きなタイプです。しかも人見知りでよっぽど仲良くないと一緒に出掛けるのが苦痛に感じます。そんな私にとって断る理由を探すのも面倒だし、子育てで大変なのにママ友になんて構ってられないとまで思う様になりました。毎回色々な理由をつけて断っていたのですが、何度も断るのは気が引けるので数回に1回は誘いにのる日々でした。だんだんそれすら面倒な感じで次回も断ったりするのですが、空気が読めないママ友は毎週同じ曜日に遊ぶ人の様に私をローテーションで誘います。子供が習い事を丁度始めた事もあり習い事が理由で誘いを断りだすと違う曜日に設定してまた誘ってくるようになりました。私は旦那にママさんは自分が暇だから私を利用していると愚痴る様になりました。それでも仕方なく遊びに出かけると出かける先々でそのママには知り合いがいて挨拶し合っているのに気が付きました。あの人もこの間知り合ったママで、こっちの人も仲良くなったママだよと言われるのですが、その度にそっちの人を誘えばいいのに何で私ばっかり誘うのだろうと疑問に思う様になりました。そのママは本当に顔が広くみんなと連絡先を交換しているように感じました。そしてある時私と約束して遊んでいる所で知り合いのママに会ったようで私を置き去りにして長い時間いなくなってそっちと話をしている事がありました。私はそのママさんを話さなくて済むので気楽だと思って自分の子供と遊んでいたのですが、ふとなんで無理やり一緒にお出かけして一人置いてけぼりにされなくてはならないのか不満を持ちました。私は来たくて来ているのではないし、いなくなる位なら一人で来てそこにいた知り合いと話をしたらいいんではないかと思いました。それでも毎週私は誘われるんです。そして毎週の誘いの中で知り合いも一緒に遊んでいいかと言われた時に私をのけてそっちと遊んでくれと思いました。だってその人の事私は知らないし、向こうも私の事を知らない。しかも私は人見知りです。本当に嫌だったけど何度も断れない私は仕方なく会いました。相手はとても良い人で子供同士を遊ばせていましたが、私を誘ったママ友はまた知り合いに会って私達二人をほったらかしにして違うママの所で話をしていました。私はあなたを介して会っているのだからあなたがいないとだめでしょう。とイライラしましたが、相手にも悪いので最後まで二人で話をして別れました。もうそんな日々が嫌で二人目を妊娠したのを機に連絡を絶つことにしました。それからはとても快適で気楽に一人でお出かけも出来るようになりました。けれどそんな日々も長くは続きませんでした。私が二人目を出産すると上の子の幼稚園が始まりました。そして幼稚園がママ友と同じだという事がわかりました。私は絶対同じクラスは嫌だと思っていたのですが、人数が少ない幼稚園だったので同じクラスになってしまいました。初めは話をするのも避けて近寄ってこないでという空気を出していたのですが、なんせ空気が読めない相手には全く通じません。隙を見せると子供を遊ばせようと私を誘ってきます。一度他の人も交えて遊ばせようかと提案したのですが、本当か嘘なのかみんな子供が帰って昼寝するとか色々な理由で無理だから二人でいいよと言われました。そして今も何度も誘ってきますが、同じクラスなので断れず卒業する日を待ちわびています。

ファミマで自分へのご褒美

今日もいつものように自分にお疲れ様という事で、ファミマで自分のご褒美を買って帰ってきました。
節約しないといけないなと思いながらも、ついつい帰り際にファミマに寄ってしまうのもなんとかしないと、まだまだですが健康診断で何かひかかってしまわないか少し不安になります。
友達とのグループラインでその話を出すと共感してくれる場合と自業自得といわれるか、聞いてもいないのに色々ダイエット方法を教えてくれます。
嬉しい反面、自分のお金で買っているのだからそっとしておいてほしいなと返事を返しそうになりました。
余計なお節介と言ってもいいかなと思いつつ、あまりグループラインで争いごとを起こしたくて、言い返しできないのが少しもやもやします。

こういう話をしていると、ふと、仕事終わりのご褒美に同じようにコンビニで自分の好きなもの買っている人ってどれだけいるのかなと考えたりします。

よく同じ時間に晩御飯というよりおやつのような物を買っている人を見かけると同じ理由かな?仲間かなと勝手に仲間意識を抱いてたりしています。

流石に声をかける勇気はないので、声をかけた事はないですが、知り合える機会とかタイミングがあったら少し話してみたいなとか思ってます。

いつもと同じような生活の繰り返しなので、本当はそういうタイミングとかあれば何か変化が起きて楽しいのかもしれないなと思うけれど行動には起こせないので、フットワークが軽い人やどんな人にも怖気づかず話かけにいける人が羨ましいなと時々思います。

実は一時期、フットワークが軽い人間になる為に、ビジネス本や自己啓発本なども読んでましたが、行動に移すとなると何をしたらよいのか分からなくなって諦めてしまいました。

変わりたいのに変われないのか、変わりたいけど、現状を変えるのか怖いのかどうなのかがよく分からないです。2年くらいは同じような事を悩んでますが良い結果になった実感は一度もないので、そもそも素質の問題なのではないかと思います。それか才能かもしれないです。

勇気を出せる才能、フットワークが軽い才能、そして人生を変えようとする行動力も才能のひとつなんだろうなと思います。

自己啓発本や引き寄せの本、そして最近Twitterで宣伝している情報商材にも行動すれば変われるとか書いてますが、変わった試しがないです。

まあ、今でも自分は変われるかもしれないと思って情報商材を買ってしまう事もあるので、いい加減反省するか、自分の実力を考えて行動しないとなと考えてます。

考えているだけなんですけどね。行動に移したいとは思いますが、読んだものの、内容が理解できても納得というのかわかりませんが、なるほどねという感じでしか理解出来てないので、過去、現在含めて、若干の後悔はしてます。

世の中には私以上に、色んな事に挑戦してもしかしたら大きな借金さえ抱えてしまっている人もいるのかもしれないと思うので、出来れば誰でも楽に不労所得が得られる方法を誰か編み出してくれないかなと思ってます。

多分、私以外にも大体の大人全員、むしろ最近の中学生でも同じような事考えてるのではないかと思います。

小学生は分かりませんが、中学生くらいになってきたらインターネットを使って大体の事は調べられるから、夢を抱いていても、叶えられないし、むしろ不老所得の方が、好きな事しながらお金もらえるから良いのではなんて考えていそうです。

そこまで考えてないのではとかツッコミ入れられそうですが、むしろ最近は若い子の方が色々達観している様な気がします。(SNSをみていると)

子供と知り合う機会もないので、自分の妄想でしかないので、想像の域はでませんが、子供と話す機会とかそんなイベントでもあれば聞いてみたいです。

地元のお祭りとかで子供は集まってきたりしますが、知り合いでもない赤の他人の大人に話しかけられたらおそらく、逃げられるか、親に通報されそうなので聞いてみたいけど、聞けることはないだろうなと思います。

SNSを使えば、もしかしたら調べられそうですが、子供に紛れ込んでくる大人もいそうなので参考にはならないだろう可能性高そうです。

実はヤフー知恵袋とかも時々、中学生とかが書き込みをしているのを見かけたりしますが、そもそもヤフー知恵袋って子供が使えるのかなと疑問に思ってます。

ヤフー知恵袋とかで聞いてみたいような、むしろ大人から説教受けそうです。大人が何を聞いてるんだ、とかもう少し自分で考えろとか言われそうです。

色々と考えてたり、悩んでたりしますが行動にはなってないので、おそらく今後も

いつものような日常から離れたいなあと思いながらも今日も明日も、相変わらず仕事帰りにファミマに寄って自分のご褒美を買って、これでいいのかなとかグルグルと考えてしまうのだろうと思います。

旅行にでもいくお金も貯まれば日常から離れられそうですが、現状、今の生活を変える方法が思いつかない&したいけどやり方が分からないので変わらないですね。

いつか人生逆転できますように・・・・!(出来たら無理がない程度の努力でお願いしたい所です)

人はなぜ働くのか

人はなぜ働くのでしょうか。
社会人2年目の私は毎日のようにこのことを考えています。
好きでもない仕事をして、決まった給料を決まった日付に受け取ります。
それが無ければ生活はできないけれど、生きていく手段なんて腐るほどあると心の中では思っています。
分かってはいるけれど、この生活を人はなぜ辞めないのかと今まさに自分に言い聞かせながら就業時間にこの日記を書いている私は給料泥棒でしょうか。
ではまず”なぜこの生活をやめないか”についてですが、私が思うに人は変化を嫌います。
私の場合も大半の理由はこれにあたると思います。
今の何となく生きているこの生活に慣れてしまってて、いわゆるぬるま湯に浸かっている状態になります。
このぬるま湯から抜け出せる人間はいわゆる富裕層という人種たちなのかな、なんて思ったりもします。
ここでいう富裕層とは心が豊かな人たちのことかな。
皮肉なことに現代ではテクノロジーやAIといったものが発達しすぎて心が豊かな人間が少なくなっておるような気がしないでもないです。
どうでもいいんですけどね。
決断をするということは、人が生きていくにあたって一番ストレスのかかる行為であると私はしばしば感じています。
決断力のある人間が今の日本や世界をきっと作ってきたのだなとも思うけれど結局どうでもいいなって思ってしまう自分がいます。
とにかく私は熱中できる仕事がしたいと日々考えています。
だけれど、熱中できるのもを見つける事が一番難しいことで、見つかってからは案外簡単なことだと思うんです。
私の姉は小学生の時に自分のなりたい将来は小学校教諭だと周囲に言い切りました。
現在姉は小学校の教諭になり、7年が経過すします。
もし宝くじが当たったら、仕事をやめる?それとも続ける?と聞くと、「続けるかな。」と言っていました。
姉は瞬時に答えを決断したのです。私ならば瞬時に「やめるに決まってる。」と答えましたね。
宝くじはまず、買わないと当たらないけど・・・。
あと何文字くらいか~と考えながら隣のデスクに座るアシスタント女性の顔色を横目で確認しながらタイピングをしています。
この隣のアシスタント女性、34歳独身、見た目はすごく美人なのになぜ独身なのだろう。
私の見解は2つです。
1つ目は男を数人誑かして金儲けをしている、もう1つは女が好きなのか?なんて考えてる。
こんなことを想像しながら日々お仕事に励んでおります。
やっぱり給料泥棒ですね。
部長はマスクごしでも匂うほどの口臭の持ち主です。
くさ過ぎて正直指示が頭に入りません。誰か注意して欲しいです。
その部長の口癖は「根底を分かっていないでしょ。」
根底なんてくそくらえと思いながら日々を過ごしております。
ただの悪口日記になってきました。
課長は会社の経費でご飯をめちゃくちゃ食べます。
いわゆるケチまたは貧乏性ってやつですかね。
こいつはもう男として情けなくて見ていられません。
課長が仕事をする理由は会社のお金で美味しいご飯を食べることができるからだろうと個人的に思っています。
人にはそれぞれ仕事をする理由があるのだなと思いながら、今日は金曜日なのに接待がぶちこまれました。
宝くじ買います。
さて、私が最近始めたことの中にTOEICの勉強があります。
通勤時間が30分程度なので、地下鉄は電波も悪いし、勉強する時間にしよう、と思い始めました。
が、しかし継続するということは世界で一番難しいことですね。
なかなか続かない。
やっぱり目標を設定して何事も始めないとどうも続きません。
なんでもそうだけれど、始めるという決断ばかりを急いで、肝心な続けるルールを決めていないと思うます。
私はサッカーを10年以上学生時代から続けてきましたが、それは自分で決断するというよりは他者に決められたルールに従って継続していただけなのだなと今になって感じます。
子供の場合は両親や大人が決めてくれたルールに従い生きていました。
楽だったなと正直思います。
決断する回数も少なければ、決められたルールを守れば褒められたし、楽しかったです。
大人になってしまった今は誰もルールを決めてはくれません。
全てが自分次第という言葉がありますが、大人になるというのはそういうことなんだなと思います。
もし子供ができたら、私はルールを決める立場になるのだと思うと、到底まだ子供は育てられないなとつくづく思います。
私たちは何のために生きて働いて子孫を残してを繰り返すのでしょうか。
生きているとうことは必ず死んでしますし、そう思うとあの時こうしていたら良かったなんて絶対に思いたくないです。
だけれど、そのやっておけば良かったを今この瞬間に見つけるのは簡単なことじゃないと思います。
私のような大人って意外と多い気がしませんか?
こういう悩める大人子供みたいな人たち向けの新しいサービスを展開したら成功するかもしれませんね。
今のこの平凡な状況から抜け出すには自分次第ということですか。
皮肉なものですね人生。
私の目標はとりあえず家族を沖縄旅行に連れていくことです。